生きる



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人は音楽によって癒され

勇気をいただき心の奥にまで優しく穏やかに染み込んでいく。

その音楽の好みは人によって違うが、

自分にとっては、

ジブリの曲想がとても、とても癒されてくる。

また、それは忘れる病気(認知症)の人であっても

過去の思い出とともにその好きな曲から人や景色やその時の感情が湧きだされ

人に備わっていた限りない力を教えていただき、

発語となって大切なポジティブな言葉が届き、

自分等は、それを宝として記録にとり残し、

精神面が不安定になる前の行動からその宝の支援を届けると

穏やかで笑顔の時間が訪れる。

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人には、個々に個性があり

尊厳をもって生きる権利があり、

それは認知症という病気であっても、

その疾患に限定されたアルツハイマーの〇〇さんではなく、

〇〇さんの個性と考えると

とくに大袈裟に驚くことでもなく

その病変から強く出る場合は。

それは、自分等と同じ苦しみの蘇りであり、

「丁寧に」

「優しく」

そばで見守り、

いただいた言葉を、

そのまま繰り返し「〇〇?」と話をオウム調にお返しをさせていただくだけで、

その個性の人は、

『自分の話を聞いてもらっている』という、

強い互いの信頼感が生まれ目線を合わせていただける場面となる。

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ことばを交わすことの意味は深く、

相手との距離が、どんどん近くなったり

また、交わすことのない時間は互いの心が離れ

数年経過しても

いつも、

初対面で、

ただの通り過ぎる人であり関係性は生まれない。

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耳の悪い人は補聴器を使い『何とか話を聞きたい。伝えたい』と努力し

話すことができない人は、

紙に書いたり

手話を使い相手に自分の感情を伝えようとする。

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しかし、健康な人こそ

同じマンションでも挨拶も交わすことが難しい場面もあり、

これは、

挨拶をしても、相手からはしてもらえないのでは?という恐れもあるのだろうか?

先日、

数秒待っていただいたエレベーターで

美しい女性に「ありがとうございます」とお伝えすると、

先に降り、

ふり返りご挨拶をしていただいた。

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これが、人との交流であり自然の姿なのに生活様式が進化し、

精神活動が進んでも

『この人対人の交流がとり残されてきたのではないだろうか?』と

考え深い場面が浮かんできた。

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街中では、

自転車を降りようとする場面で相手に足がぶつかった女子学生は

「ごめんなさい」とは言えず、

とても苦しそうな表情でその場を立ち去って行ったが、

痛みを伴った男性も、

手をさすりながら足早にその場を立ち去ったが、

自転車の女子学生の心も、

痛みを伴った男性の心も

とても哀しいと思う場面に遭遇した。

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そろそろ本格的に、心を大事にする教育とは何かを真剣に語る場面が必要かな?とも

思えてくる。

認知症サポーター養成時には、

澄んだ目線で清い心で成績を争わない時間は、

とても自由に子供たちは考えを発表し

体で思う存分表現していただきとても力を頂いている。

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教育現場に

心が軽やかになるような、

その地域の伝承や、

人が生きること・生き抜く為の知恵や、

大事なことを届ける交流の場を優先するカリキュラムがあると

「心がもっと、もっと育つのにな~と」ふと感じた。

文章が長くなりました。

最後までご拝読いただき心から感謝です。

ありがとうございます。(#^.^#)

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