木をバッサリ切ることは命を切ること
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昨夜、遅くに戻り部屋を冷やそうと冷房の温度を下げそのまま朝になってしま
いました。
目が覚めると肩が凝り体全身硬直状態のようです。
「お風呂に入ろうかなー」と思いますがそのエネルギーがありません。
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そうか、指令を出すのは脳であり脳の血流を良くしようと、
そこで、タオルを濡らし
ビニール袋に入れそのまま電子レンジで温めます。
「頭寒足熱」ということばもありますが真逆の対応です。
患部の血流を良くする為の自分流の血行促進です。
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北見へ行くときには前頭葉に刺激が入り「がんばるぞ!」という
エネルギーが増してきますが帰りはその分安堵感と、成し遂げた満足感と
協力を頂いた皆様への感謝と、どっと心地良い疲れが増します。
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車窓から見える景色は、もう秋の気配です。
田んぼは、刈り入れを待つ黄金色の稲が育ち、
トンボが飛び、
石北峠は、たくさんの木々が生い茂り
この木の世界は、人間世界のようでいろいろな顔を持つ木が存在しています。
木の世界に人がお邪魔していると思うと考え方は、やっぱり真逆となります。
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(車窓の風景 北見)
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桜の木も楽しみにしていましたが掃除が大変と川べりにそって植えられていた
木が、すべて切られてしまいました。
確かに「美しい」と見る側の一方的な意見と、その場を守る人の意見は違うのですが、
バッサリ木を切ることは命を切るということでもあります。
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考え方は、バランスのとれた中庸の考え方が大事であり、
この考え方は、どの場面でも導入できるものだと思います。
極論ではなく、ゆるみを入れた物事の考え方が自由に戻ることも、
やり直すこともできる人生へ向かうことだと思います。
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生きていれば過去の自分を捨て新しい自分を発見し向かうこともできます。
苦からの学びは、
これからの勝利を目指すものであり自分への栄養となるものです。
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生きていれば誰でも失敗から落ち込むこともありますが、
その気づきは、
「普通の暮らしが一番」であることを自ら学び得たものであります。
素の自分と向き合えることは、どのような色にも成りえ得るもので、
可能性を持つことでもあり、
気づきは自らの学びを得たものであり、
自分が変わる方向性を早期に取得するものであります。
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しかし、痛さを知ってこそ「自分が一番求めているのは何なのだろう」と考えると
今を生きる物事への優先順位が自ら掴みとることができます。
この苦しさから、せっかく得たものを行動せずに守りに入ることは、
物事の進歩を止め、
自分の人生の歩みを止め(停滞)人生を無駄にする時間であり、
生きている魂を、
無にすることだとも自分は考えます。
命は限りあるものであり戻りたくても戻れないのが人生で、
限られた命の期限を知ったときでは遅いのですね。
自分を守るのは、早め早めでありますね。
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話は戻りますが(笑)、熱くて持てないタオルを包み
肩、首筋、頭、体のリンパ節の部分をじっくりゆっくり温めます。
次第に目の前が明るくなり
血流が流れていき、ほぐれていくのが自分でもわかります。
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氷を入れた水をグングン飲みます。
自分は、血圧は低めですが高血圧の人は危険かな・・と思います。
話は、まとまりありませんでした。
気持ちのままに・・
ご拝読、ありがとうございました。